【今月のプレジデント】 vol.1 Infopot Inc. 代表 佐藤ひろこ

今月のセブ島プレジデント、Infopot Inc 代表 佐藤ひろこ

 


「地域に根ざし、人々の喜びや幸せに貢献したい。」
その想いで走り続けてきた10年間


セブポットマガジン10周年記念号からはじまったセブ島の経営者インタビューページ「今月のプレジデント」。

第1回目はセブポット代表・佐藤ひろこが2007年の創業から今に至るまでの想いを語ります。

 

 

PROFILE : 佐藤ひろこ

1978年。大阪府生まれ。
2004年にセブ島日系リゾートでスパマネージャーとして勤務した後、2007年よりウェブとマガジンにてセブ島唯一の総合情報媒体「セブポット」Pinaka Pot Distribution, Inc.を創業。
今年セブポットは10周年を迎え、現在は不動産・ビジネスソリューションを手掛ける The Hatena Solutions, IncとCouA Holding, Incの3社の代表を務めている。
起業家としてだけでなく2児の母親として海外での子育てにも関心が高く、海外移住や親子移住などのサポートも行っている。
「頑張りすぎずほどほどに。自分らしく、生きる。女性を楽しむ。」がモットー。

 

 

 


女性であることを楽しむ。
より自分らしく生きることは、セブから学びました。


 

佐藤ひろこ

 

当時は、まだ今のように若い人が気軽に遊びに来たり、勉強するような場所ではなかったセブ島に、ご縁あってリゾートのスパマネージャーとして来たのが13年前。

セブ島やフィリピンがまだ「夜の街」「治安が悪い」「男性の街」というイメージが抜けていなかった頃にセブ島で働くことになって、「コストパフォーマンスの良さ」「親日であること」「英語が非常に通じること」「比較的治安がいいこと」「日本から近い事」など住みやすさに魅力を感じていました。

 

特に管理職の半数が女性という世界でも珍しい「女性が活躍する国」であること。

ワークシェアという考え方が浸透していること。迷わずに子供を産み、仕事を続ける環境が整っていること。

男性勝りの中頑張るのではなく、女性が女性らしく輝いて生活していることなど、女性の社会進出に関してこれほど先進的な一面を持つセブ島に、当時の私は目から鱗、いい意味でカルチャーショックをたくさん受けました。

それと同時に、私の感じている「セブ島」が日本に伝わっていないもどかしさがありました。

 

住んでいても最新の情報が全く入ってこなかった環境もあり、自分で起業するなら「情報業」が面白いんじゃないか?と思ったのがきっかけで28歳の時起業しました。

雑誌を作ったこともなければ、今後必要になるであろうウェブ制作をするにもITの知識もなかったので、世界中のフリーペーパーを集めてきて勉強しました。

当時のパートナーにIT面でサポートしてもらったこともあり、設立同月の3月に先に立ち上げたウェブサイトは、たった3ヶ月で「セブ」「セブ島」のキーワード検索で1位になりました。

その他もセブ島に関するあらゆるキーワードで10位以内になりました。

現在はセブ島も人気がでて、多くのサイトで情報発信されるようになり、全てが上位になることはなくなりましたが、セブ島に来たい人が必ず知りたいキーワード、例えば、「セブ島ビザ」「セブ島物価」、またセブ島で暮らす人の需要に合わせて「セブ島不動産」など今も1位や上位のキーワードも多く、情報量の多さ、多様性からロングステイにとても強いサイトになっています。

 

雑誌は、マーケティングも制作も手探りで始めた為、なんとかこぎつけて印刷した創刊号は、その印刷の出来映えが悪すぎてなんと全部数刷り直し。

結局発行されなかった「幻の創刊号」は今ではいい思い出ですが、失敗や苦労は書ききれない程あります。(笑)

 

セブポットマガジン

創刊当初の雑誌の数々


創業当初に叶えたかった事は、
振り返ってみると、ほとんど叶ってました。


セブポットのスタッフ

新しいオフィスでスタッフ達と記念撮影

 

創刊年の広告主を見返してみると、その半分程度はすでに無くなったお店やサービス、会社でした。

日本でも同じことですが、海外で仕事を始めて10年間継続するということが、どれほど大変なことであり、また自分だけでは決して続けることが出来なかった事を思うと、関わってくださった多くの方々や、共に創ってきてくれた、大好きなスタッフのみんなに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

情報業を始めたときに叶えたい事がいくつかありました。

当時は週に4便成田から直行便があるだけでした。

直行便がもっと増えること。

また他の都市からも直行便が飛ぶようになること。

日本にいるごく普通の日本人がセブに訪れるようになること。

当時の私のような若い女性や親子も来るような、セブが日本人にとって身近な存在になれること。

情報を発信し続けることで、少しでもセブの魅力を伝えて、セブと日本との懸け橋になりたい。そう思っていました。

 

やると決めたと限り、セブ島の情報のプロとして誰よりもきちんと広くセブ島について知らなくてはいけない。

そしてより最適な方へおつなぎするのが役目。という気持ちでこの10年を過ごしてきました。

言い過ぎに聞こえるかもしれませんが、この10年は自分の人生をセブに捧げてきたという自負があるほどです。(笑)

 

10年前を振り返ってみると、今は成田から毎日直行便が4便、大阪と名古屋からも直行便が飛ぶようになりました。

飛行機に乗っても、男性単身が目立った昔と違い、学生や女子旅も普通になりました。

また、英語留学の学生さんの急増はもちろん、英語を学ばせたい親子移住も珍しくなくなりました。

日本のメディアや雑誌情報でもセブを目にすることが多くなり、「日本人にとってセブが身近な存在に」という、創業当時私が叶えたかったことは、ほとんど叶ったことになります。

このセブの急変さにセブポットも一役担えてたら、とても嬉しいです。

 

セブポットマガジン創刊号と10周年記念号

左:創刊号 右:最新号

 


自分たちらしく、セブ島のために
これからもチャレンジを。


誰もセブ島の情報を発信していなかった頃とは大きく変化し、今やSNSやネットの変化も伴って日々情報が誰でもアップデートできるようになりました。

セブ島の変化、日本人マーケットの変化と共にセブの情報発信をすることが使命だったころと私たちの役割も変わってきています。

10年地域に根付いてきた私たちだからこそできる、情報発信のカタチや、情報業を軸にした新しいサービスづくりを楽しんでいけたらいいなと思っています。

 

何か新しいことへのチャレンジ。という意味ではいつも気持ちは同じです。

誰かの何かを追うのではなく、たくさん失敗しても草っ原に新しい小道をつくることが私たちらしさなのかな?と思っています。

 

新しい若いパワーが沢山集まってきたセブ島の土地が、より魅力的になっていくように、外国でビジネスをさせてもらってる日本企業として、また日本人として自分たちらしく出来ることをこれからも重ねていきたいです。